Side:理一 1



 初めて会ったのは姪を介しての食事会の時だった。残暑厳しい9月の夕暮れ時。彼はいかにも学校帰りといった風情で親友と共に待ち合わせ場所に立っていた。
 あの夏の日、画面越しにくるくると表情を変えた彼は、同じように多彩な表情を見せながら快活に笑う。その様が何故かとても眩しく見えて。若さゆえの華やかさなのだろうかと思いながら理一は目を細めた。


 姪を介して始まった現実世界での佐久間との付き合いは、細々としかし確実に続いていた。というより、続けていた。もとより、会うことにすら理由がいる間柄だ。姪本人ではなく姪の通う高校の後輩など。離れすぎた年齢を思えば『友人』という言葉で括ることも難しい。それでも、姪や彼の親友を交えての食事会と銘打って誘えば必ず了承の返事が返ってくる。疎まれてはいないらしい、と。それが理一には、唯一持てる佐久間への最大限のつながりだった。
「そんなに気に入ったのか」
 並んでホテルのラウンジに座り、そう言って笑ったのは同い年の叔父だ。東京に戻って来たから付き合えと言われて呼び出されて、互いの近況をぽつぽつと報告し合っていた時だった。
 言われた言葉に首を傾げた理一に侘助はにやりと口元を歪める。
「仕事大事、お国大事のお前が時間のやりくりをしてまで会う理由を作ってるんだ。余程だろうが」
 やっぱりビールは日本に限ると言いながらグラスを煽った叔父が笑い含みに言うのに、理一は思わず顔を顰めた。周囲にも、勿論本人にもひた隠しにしていた感情をこうも簡単に見破られるとは思ってもいなかったのだ。これが一緒に育った人間の勘なのかと苦く思う。手の内胸の内を知る人間がいるというのは、なんとも居心地の悪いものだ。無言で氷の浮いたグラスに口を付ければ、いかにもおかしそうに笑う様がさらに憎い。
「…だから?」
「あぁ?」
「気に入っている。それは否定しない。だから、なんだというんだ?」
 声に極力表情を込めずに言えば叔父は軽く肩を竦めた。
「開き直られちゃつまんねぇな」
 それきり二人とも黙り込んでそれぞれのグラスを空にした。

 そんなやりとりと思い出しながら、理一はソファの前のラグに直接座り込み興味津々といった風情で液晶画面を覗き込む子供に視線を向けた。キッチンには佐久間が持参した菓子の箱が一つぽつりと置かれている。コーヒーを用意しながら理一はそのひよひよとはねた淡い色の髪に小さく笑みを浮かべた。
 前の食事会の時に持っているパソコンの話になった。どうやら理一の使うマシンの性能は佐久間の琴線に触れたらしい。好奇心に満ちた目でじっと見つめられた。あまりに分かり易いその表情に軽く吹き出しながら「さわってみる?」と問えば、何度も勢いよく首を振る。その姿がまるで餌を前にした犬のようで、更に笑みを深くしたものだった。
 そして訪れた佐久間は、憧れだと言っていたパソコンに触れるのが余程嬉しいのか、軽く頬を紅潮させて理一宅の玄関ドアをくぐった。きょろきょろと興味深げに視線を彷徨わせながら理一の案内でリビングに辿り着いた佐久間は小さく叫んだ。
「ひろっ! 物すくなっ!」
 言われた言葉に思わず理一は苦笑する。
「物がないから広く見えるだけだと思うけど」
 ソファを勧めながら言った理一に佐久間はからからと笑った。
「や、どんなに物がなくても、こんなにでかいソファセットと47インチの液晶テレビ置いたら普通はダイニングセットなんて置けませんって」
 言われて理一は目を見張る。情報処理能力のかなり高い子だと思っていたが、観察力もあるようだ。つい仕事モードの目線に切り替わりそうになり、理一は慌てて頭を一つふる。佐久間はそんな理一を気にすることもなく、ソファセットに歩み寄ると再び歓声を上げた。
「おぉ! 現物! 初めて見る!」
 勢い良く振り返る佐久間に一つ頷いてみせれば、彼は嬉々としてパソコンの前に座り込んだ。そのままパソコンをいじり始めた佐久間に一つ息を吐くと理一はキッチンへと入る。飲み物は何がいいか聞こうとしたが、すでの佐久間の意識はパソコンに集中していた。聞いても返事はないだろうと、理一は気に入りのコーヒーを煎れるべく食器棚の扉を開けた。
 そうして、佐久間の手土産の菓子をつまみながら他愛もない話に花を咲かせて、気付けば夕飯の時間もとおに過ぎていた。
「佐久間くん、お腹空かない?」
 そう問えば、佐久間はきょとりと首を傾げた。
「…えーと。理一さん、料理とかするんですか?」
 逆に問い返されて理一は苦く笑う。
「食材買い込んでも使い切れずに腐らせるのがオチだからね。外食が多いよ」
 だから、どこかで食べて行かない? そう聞けば佐久間は小さく笑った。
「了解です。あ、でもあんまり高そうなとこはヤです」
 きっぱり言い切られて思わず理一は苦く笑う。本当は近所に新しくできたイタリアンレストランに行こうと思っていたのだが、諦めた方が良さそうだ。
「そんで…」
「うん?」
 続いた言葉に軽く首を傾げて先を促した。
「次の時には、食べたいもの、メールで送っといてください。俺、作りますから」
 はにかむように笑った佐久間に、理一は思わず目を見開いた。

 理一は佐久間を好いていた。年の離れた友人としてだとか、姪の後輩としてではなく。欲の伴う、所謂異性に向けるべき感情と同じものを佐久間に対して抱いていた。
 二回りも年の離れた子供になにをと思ったのも最初のうちだけだ。話をすればするほどに全てが好ましいと訴える己の心情に、否定することもできなくなった。
 だから、佐久間が『次の時には』と口にした時には、正直柄にもなく胸が高鳴った。例えそれが、趣味の合いそうな年上の友人へ向けた好意から出た言葉なのだとしても。彼もまた自分に逢いたいと思ってくれていると思えた。
 理一は物思いに耽っていた意識を引き上げると、やけに静かな佐久間へと視線を落とした。次いで目を見開く。
 佐久間が理一の自宅に遊びに来るのも、そろそろ片手にあまる程の回数になっていた。時間ができれば理一は自宅への誘いと一緒に夕飯のリクエストをメールで送る。それに断りの言葉が返されることはなかった。佐久間はいつでも二つ返事で応じて家へとやってくる。そうして、駅まで迎えに出た理一とスーパーに寄り、食材を仕入れて家に帰る。尽きることなく続く会話を楽しみ、佐久間の作った夕食を堪能して、終電にならない時間に駅まで送る。そんな一連の行動が既にパターン化していた。
 今日も、久しぶりに一日休みになったからと佐久間にメールを送れば、佐久間から了承の返事が帰ってきた。そうして、スーパーで買い込んだ食材を冷蔵庫に押し込んで、他愛もない話をしながらテレビを見ていたのだ。
 落とした視線の先、佐久間は、ソファの座面に頭を寄せて眠りこけていた。そういえば、中間模試がようやく終わって寝不足気味だと言っていたのを思い出す。パソコンをなぶっていた腕も、はたりとラグに落ちていた。
 不自然な姿勢で眠るよりはと、誰に対する言い訳か分からない言葉を内心で呟きつつ、理一は佐久間へと腕を伸ばす。その薄い肩に手を置き、立てた膝の裏に腕を回すと引き寄せて横抱きに抱き上げた。思ったよりも軽い体に軽く眉を寄せながら立ち上がる。そのままソファの座面に寝かせると、肘掛けに腰を降ろしてまだあどけなさの残る寝顔を見下ろした。
 ふわりと、佐久間を寝かせた時に鼻先に流れた柔らかい香りを思い出して理一は目を細めた。
 この香りが心地よいと思うのは、秘めた恋に似ているからなのだろうかと考えて緩く頭を振る。どうにも沸いた思考しか出てこないのが、愚かな恋に落ちた男に似つかわしいような気がして。
 理一は一つ息を吐くと自嘲の笑みを刷いた。



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